Tamarmy’s blog

ひたすらBTSのことを。

ー『Dynamite』がもたらすのも

 初の英語歌詞のDynamiteがビルボードシングルチャートHOT100で2週連続の1位を達成した。BTSの7人が喜んでいる姿を見て本当に嬉しかった。大したことはやってない自分はさておき、世界中のARMYさん、時間とお金を目いっぱい使って努力された方に「お疲れ様でした」と言いたい。特に、長年サポートされてきたARMYさんたち。初期のころの苦難を、7人のメンバーとともに戦ってきたARMYの方々に感謝と拍手を送りたい。今の彼らがあるのは、ホントに皆さんのおかげなのだから。

 まさに世界中で爆発したDynamite。より大衆にアピールできるこの曲で、知名度も上がってファン層も確実に広がる。世界制覇だ。『I NEED U』が第一のターニングポイント、この『Dynamite』は第二のターニングポイントとなるだろう。この曲によって、世界中の老若男女、今までBTSを知らなかった人たち、名前は知っていたけれど、素通りしていた人たちが、彼らの魅力の扉を開ける。多面的・複合的なBTSの魅力は、性別年齢関係なく、誰しもの心のどこかを揺さぶるはず。そして、確実にその何割かが、その魅力の“沼”に入ってしまうのだ。

 このヒットの理由のひとつには、やはり英語の歌詞だということがある。RMも、成功の理由として言葉の障壁のハードルが低かったことを上げていた。そういえば、確か去年のグラミーのレッドカーペットでのインタビュー。「英語の曲は出さないの?日本語の曲は出してるのに?」と質問されていた。その時のRMの答えは、YesともNoともつかない曖昧な返事だったと記憶している。この時のインタビュアーがなぜそんな質問をしたかと言えば、それはもちろん「日本なんてちっちゃい国じゃなくて、英語圏という大きなマーケットに合わせて曲出せばいいのになんでやらないの?」ということだろう。音楽市場で一番はアメリカだし、世界で売っていくために英語の楽曲が必要だという意見はわかる。とは言うものの、BTSは、英語圏において韓国語で歌って勝負して、その勝負に勝ってきた。アメリカで売るために現地化するという従来のKPOP界のやり方をやらなかった。アジア系アメリカ人をメンバーに入れたりすることもなかった。事務所のパン・シヒョク氏は、過去、韓国語アルバムでの海外進出について「米国進出のために、英語の歌を発表するのは私たちのやり方ではない。Kポップ歌手たちに英語を教え、米国の会社と契約するのはすでにKポップではないと思う」と語っている。RMは「2015年からビルボードの順位を上げてきたが、そのために何かを計画してきたわけではない」と発言している。

 アメリカでの勝負において、他のKPOPグループがやってきたことをしなかったこと、それが差別化を産み、成功の理由のひとつにもなったと言える。韓国人としてのアイデンティティを守ってきたことが、シビアなアメリカ人に、媚びない姿勢=本物と映ったという側面がある。新人ARMYの私は、そういったアメリカでのファンダムの形成の歴史を、キム・ヨンデ氏の著書「BTSを読む」で知った。私は、音楽に詳しいわけでもシビアな感覚をもっているわけでもない。しかしそんな私にも、彼らの中に宿る、自分たちのアイデンティティに真摯に向き合う魂を感じた。それを肌感覚で感じた。だから、安易に英語の楽曲を出すことはして欲しくないな、と実は思っていた。

 しかし、とにかく『Dynamite』は良かったし納得した。英語の歌詞にすることで、世界のより多くの人へ言葉の障害なしに届けることができるし、口ずさみやすくもあるし、振付も従来とは違って真似しやすいものになっているから、皆がすでに聞かされているこの曲を出す“目的”と、合致している。それに、このポップで明るいメロディーには、韓国語より英語の方が合うだろうし。とにかく“一緒に歌って踊って楽しもう”という彼らのコンセプトに共感できた。ホントに世界を明るくできたんじゃないかと思う。英語の楽曲を出す目的が“英語圏制覇”ではなかったことに安堵している。

 ただ、ここで思う。RMがこれまでに度々言ってきた“音楽が言語や人種の壁を超える”ってどういうことだ?歌詞がわからなくても、「音」を「楽しむ」ことはできる。でも、歌詞に込められたメッセージは、その意味を解かること必要だ。世界中のARMYたちは、韓国語の歌詞に込められた物語を、自国の言葉に訳して読んでいる。日本語のみでリリースされる楽曲もあるけれど、本国にはそれに反対するARMYは少なくない。これは、単に外国語で歌うことの非難とは違う意味を持つ。日本でも、やらなくてもいいんじゃないかと思うARMYもいる。私もそうだ。かと言って、日本語を練習して歌ってくれることに嬉しさを感じないわけでは決してないし『Stay Gold』が世界で売れたこと、韓国のグループが日本語の歌を広めてくれたことに感謝、なのだけれども。何かもやもやとしたものがある。“音楽が言語や人種の壁を超える”に賛成だ。RMが語る言葉はいつも私の胸を熱くする。でも、それはどうやったら実現するのだろう?きっと、RMにも答えがまだ出せてないのではないだろうか。

 彼らの存在は、この21世紀の世界の音楽界において大きな意味を持つ。“アメリカ、白人、英語”が支配する世界を多様化し、過少評価されているマイノリティにチャンスを与える、そのきっかけを作れるのは、この10年では彼らしかいないのでは、と思う。アジア人として私はそれを期待し、その後押しをする巨大なファンダムARMYの、ほんのひとつの小さなかけらである私も、できることをやりたいと思っている。それは、英語ネイティブの人たちのアジア人蔑視に屈辱を感じた経験がある私の、ささやかなリベンジでもあるかもしれない。

 先日、韓国のニュース番組に出演したBTS。インタビューで、次なる目標を聞かれたSUGAはとうとう「グラミー賞のノミネート、そして受賞」と、かなり遠慮がちな言い方ではあったけれど、はっきりとコメントしてくれた。思わず拍手した。ホントにうれしい。彼らだってそれが厳しい挑戦なのは解かっているはずだ。「次はグラミー賞!」と安易に言う人たちもいるが、壁は厚いと思う。グラミーはビルボードとは違ってファンダムの力ではどうにもできない。“業績”でなく“音楽性”を重視するというコンセプトで、結局は受賞者を決定するボードメンバーの主観ということになる。そこはかなり保守的と言われているし、黒人アーティストは難しい、いやその前に女性アーティストは不利とすら言われる。非英語圏の歌手には、例え英語の曲でもかなり難しいはずだ。昨年、他歌手との共演でBTSがその舞台に上がれただけでも快挙だった。

 この『Dynamite』は、閉鎖的なグラミー会員たちの棲み処を、その偏見を、爆破してくれただろうか?世界の音楽界の賞を考える上で無視できない存在だと思わせることができただろうか?アジア人もなかなかやるじゃないかと気づかせることができただろうか?ノミネートされるだろうか?それとも、非英語圏の楽曲に与える賞を新しく作るという意見が出るだろうか?そうだとすれば、コロナ禍の世界を明るくするだけではない、この曲の役目、世界の新しい扉を開くという役目を担ったということになる。

 そして、いつか、近い将来BTSがグラミーの大賞を受賞する時は、それが韓国語の曲であって欲しい。賞なんか関係なく作られた、韓国人としてのアイデンティティを頑なまでに携えた曲でそれをやり遂げて欲しい。それが、この奇跡のような7人の、神から与えられたミッションのような気がする。